ライアン・ガンダー 「In practice simplicity has never been a problem」

ライアン・ガンダー
「In practice simplicity has never been a problem」
2016年7月1日(金)-7月30日(土)
火-土 10:00-18:00 日月祝 休

TARO NASU
〒101-0031  東京都千代田区東神田 1-2-11
火~土10:00-18:00 日月祝 休
http://www.taronasugallery.com/info/info_index.html

まずはステートメントの引用

本展で発表される新作は、playmobilを用いた立体のインスタレーション作品となる。
playmobilとはLEGOと並んで世界で愛される子ども向けの組立て式の人形(フィギュア)である。人間の特徴を職業や国籍、時代背景に合わせて単一的に表現することで知られる。
本展覧会で展示されるのは展示会場を取り囲む500体のフィギュアと、playmobilを模したかのように見える銅像5体。
いずれも、パーツの組み合わせが従来のplaymobilとは異なり、見慣れたフィギュアとの違和感を感じさせる。

playmobilの個々のフィギュアデザインは、人間の類型化した個性を表現している。外面的特徴を平明に表しているという点で、文化や個性の翻訳の一形式、ある種の記号的役割をもつと言えよう。
その個々のデザインパーツが不揃いに組み替えられて人形が象られた時、私たちはその人形に対してどのようなアイデンティティーを想起するだろう? 505体の小さな人形から生まれる世界観は、人間と文化に対する「常識」という私たちの既存の価値観を大きく揺るがす。

もうステートメントとビジュアルで大半を語っているから、
あんまり文章を書く必要性は感じられない。(悪い意味ではなく)

組み立て式のフィギュア約500体が会場に並べられていた。
驚くのは一つとして同じ装いのキャラクターがいないこと。
膨大な量、カスタムパーツが出回っているのだろう。

それらの組み合わせで、途方も無い可能性がある。
それはソーシャルゲーム等のアバターと同様である。

自分をネット上に再現、置き換える為に、パーツを寄せ集め、
仮の自分を作り出す行為。

どんなに忠実に再現しようと、寄せ集めである以上、
理想と現実に距離はあって、ズレがある。
あとはモノの寄せ集めであるから、作り出すことができるのは、
あくあまで外見であるということ。内面を作ることはできない。

自分が身を置く世界でも、大半の人々は、市販されている服やアイテムを購入し、身につけ、街を歩くのだから、課金アイテムと言い換えることもできる。
(ネット上の課金アイテムは実際の肉体に対し防寒耐性は働かないけど)

ふと面白いなと思ったのは、ネット上でアバターを使ってチャットをするサイトとかあるけど、課金しないと男性キャラは白のタンクトップ、下はトランクスだけ、みたいなのを見たことがある。もっと何か最初から与えてやればいいのにとは思う。

しかし、そんな姿であっても、街にふらっと出かけられるし、レストランとかに行って、見知らぬ人に声をかけてもいいし、警察に捕まることはない。露出狂だけど、それを取り締まるルールはない。

ルール(法律)がなければ、自由である。
マナーとかもあるだろうけど、条例とも違う。

さて、沢山の人形たちを見て、その多様性は確かに人間の外見的特徴にあてはめやすく、いろいろと思考の手段としても用いることができるなと思った。
あとは、外見で内面を推察することはできるけど、声も発さず、ただただ立ち尽くすフィギュアたちの真面目さを前に、それはやりたくないなと思った。

見ることは知る手段の一つではある。
しかし、そこにある外見は自らが望んでなった結果とは限らない。
選べないものは沢山ある。
対象が自らの意志で選び取ったものを、
対象とのコミュニケーションを経てから、
知り、語り合うべきである。

しかしというか、やはりというか、
感覚器官として、視覚は上位なのだなと思うばかりだった。

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