WEB日記というものなぞ

ふと日記を書こうと思い立ったので始めます。再会と表現した方が適切か。

思い返せば、WEB日記というものは中学生時代から手をつけはじめ、当時は「every diary」という無料日記サイトで飽きもせず、大してフィジカルな行動を起こしてもいないのに、何千文字も記述し、投稿を繰り返していました。しかし、振り返れば確かな実感を得ない日常生活を素材に、自らの日常を、思考を振り返る訓練となっていたと気付くのは、社会人として働きはじめ、仕事で日常的にブログを記述するようになってから。日常的にプライベートの情報をある程度の文章量を記述するという行為はマイナだと気付く。

前述の日記サイトは、広告表示がなく、一個人のサーバ上で運営されていたものでした。もう完全なボランティア活動。今思い返せば凄いことです。
画像も投稿できないし、確か文字の装飾もできないし、プロフィールページとかも確保されてなかった。しかし、テキストは記述できた。その当時は、まだ「ブログ」というシステムが普及する前の時代。色々な日記サイトがある中でも、必要最低限のシステムしか提供されていないところが気に入って利用していました。
Twitterやmixiも誕生していなかったから、日記サイトの新着日記の項目が唯一の新規流入口。しかし、そこから多くの人と出会いました。
本当なのか嘘なのかわからない、というよりも許容し辛い日常生活を送る人。遠くの田舎町に生きる他人の吐露、マイナな小説家の思考。こんな微量なテキストデータだけで、こんなにも脳は幸福感を得られるのだと。

さて、話は少しさかのぼりますが、現在だとFace bookとかTwitterといったツールを介して、自身の思考を文章として記述する行為は以前より多少はメジャになったとは思いますが。やはり文書量が圧倒的に少ない、目的に対して不足していると感じます。Twitterだと基本的な文字数は140文字。固有名詞を短縮し、行間を詰め、1ツイートの中に情報を無理矢理凝縮しようと試みている。それは余分と判断されるものかもしれませんが、その余剰こそが個性であり、豊かさであり、人間的な思考の残滓でもあり、自由であると思います。

私は、数ヶ月前に仕事をやめて、世間で言う「無職」という立場にいます。
いつかは再び働き出すのだから、今この貴重な時間の中で、自分が何を思い、どう生きたかをまずは自分のために記述したいと思います。

そしてせっかく挑戦するのだから、自らの内部で完結するシステムに留めるのではなく、新たな気付き、視点がわずかでも得られる、より開かれた文章であろうという意志を持って公開します。お目に触れた方、どうか気楽にお付き合いを。主な内容は「その日の気付き」と「その日見た映画」の二本立てです。仕事辞めてから、毎日1本映画を見ています。

今日見た映画「レザボア・ドッグス」クエンティン・タランティーノ
タランティーノの長編デビュー作とのこと。心証としては突き刺さるものはないものの、同氏の未だ磨いていない原石のつぶてが沢山転がっていた印象である。それら原石を取り上げ、注視し、制作を続けているのではないかと。この監督の映画を見ていると、映画制作がとても楽しいんだろうなぁと思う。それがまた一つの魅力ではないか。同氏の作品は数本くらいしか見ていないけど「ヘイトフル・エイト」は好き。ミステリ風味をまといながら、あらぬ方向から爆弾投げ込んで葉茶無茶な残骸が残る的な構図。和食も洋食も中華料理もなんでも食える定食屋で腹一杯食べた後みたいな感覚が得られる。

ではまた明日。