笑わないお笑いライブ(高度)

7月29日(土)
部屋の大掃除の際、昔から好きだったバンドメンバーのサインキャップを処分しました。サインをもらったのは大学1年の頃か。サイン自体には価値はないよね、と自問したら素直に捨てることができました。時を経て、思想を変えて、物質の執着から徐々に放たれていくことが成長であると思うこともあります。もう、なくてもいい。対象の本質が、精神的な何かに還元されたような。

物質的に豊かになることは精神的に豊かになるための簡易的手段ですが、無くても良いのクラスに達することは、上位互換になったという満足感か。最終的には肉体の執着から放たれ、もういらないとなったときが個の終わり、終着点、寿命なのでしょうか。

さつかわ氏の弟であり芸人である「サツマカワRPG」のワンマンライブのため、新宿に出かけました。何かをしたい、そんなエネルギーに満ちたショウでした。舞台という物理的な制限を逸脱しようとする行為が多々見受けられました。どんなことができるか、どんなことが受けるのか、試行錯誤をしているのでしょう。
彼の魅力は三つあって「必死さ」と「論理の飛躍」と「IF」だと思います。論理の飛躍をネタで見せる為には、多数の客観が必要。客の理解力を試算した上でないと通用しない(飛躍の隙間を補完できない理解に至らない)跳躍点と着地点がとても離れているのに、その必死ででたらめ(に見える)ビジュアルで見事に跳躍を果たす。その驚きに心地良さと驚きを覚えるのでしょう。
その目算がとても巧い、それが成功を続け、ネタのレベルの平均値は年々向上していると感じます。が、それを継続していると突出したネタを作り出すのは困難でしょう。どんな芸術表現でもそうでしょうが、ウケ狙いとはそういうこと。しかし、彼も客の遥か上空を通り過ぎるようなネタに憧れ、目指しているのではないだろうかと感じます。それが今回のライブで行われた幾多の挑戦だったと思う。すぐにはわからなくても、おもしろいとは感じられなくても、信じてついてきてくれるある程度のファン数を獲得し、下地を作り上げてからが、彼の本番でしょう。
私も短期間ながら大学でお笑いライブとかやっていたからいくらかはわかるつもりですが、万人に対して笑いを人工的に作り出そうとする行為は尋常ではありません。「お笑いライブ」と呼ばれるイベントが、果たして「笑顔で笑い声をあげてもらえること」を目的としていいのかどうか。どうでしょうか。
少なくとも私は、彼のライブで何を評価しているのかといえば、論理の飛躍からはじまる、彼の発想でありオリジナリティだと評価しています。その引き出しから、そんなものが出てくるのか!という驚き。だからいつも新しいものを期待してしまう。すると彼に期待していているのは、やはり「お笑い」というではないのかもしれません。より厳密に言えば、おもしろいよりもすごいを欲している(結果抽象的ですが)
というのはどうあれ、売れて欲しいですね。それ以上に新しいものを求めてしまうのはちょっとした摩擦になり得ましょうが。そういった苦しさが芸人にはありましょう。特殊な技能を必要する生業なのですから。

本日は一貫したテーマで記述できたという自覚があります、マル。
毎日こんな試行ができたら嬉しいな。

本日は映画はお休み。また明日。