いつまで生きるつもり(自覚)

7月30日(日)
高湿度、または雨が降っている日は洗濯物を室内に干して除湿器を稼動させます。室温が上がるため、暑い日は外出のタイミングに合わせます。帰宅するとタンクにたっぷりの水が補給されているのを見ると、水の惑星だなと思い耽ることもなきにしもあらず。

Youtubeで、サカナクション「多分、風。」なるMVを見かけて、川端康成っぽいスタイルだなと思っていたら、前作で「伊豆の踊り子」を参考にしたMVが制作されてたと知るなるほど。同氏の男性主人公のなよっぽさ、女性モデルのイメージがぴったり。しかも女性モデルは中国の方だとか。華奢なボディ、喜怒哀楽の表現には適していない(と思われる)顔の造形、伏し目がちな表情。それらは川端作品に通ずるイメージで、昔の女性が置かれた立場を反映させたように感じられて、哀愁哀愁。素晴らしいMVだと思います。若い女性を起用したMVは多々あるけど、その女性でなくてはならないモノは少数派だと思います。モデルのための作品ではなく、作品のためのモデルであることを見失った事例は多々見受けられます。素材に乗っ取られてどうするのか。

先日、サインに関する話題に触れました。大掃除の際に、中学、高校時代に手に入れた漫画家のイラスト原画を見返しました。しかし、これは捨てられない。バンドマンのサインは捨てられても、漫画家の場合、イラスト原画には本質的な価値がありますので。
以前、Serphという音楽アーティストがクラウドファンディングに手を出したとき、高額出資(調べたら20万円)したユーザにはオリジナル楽曲制作のリターンを提供したことが、私の中で強く記憶に残っています。音楽アーティストにとっての本質である作品(音楽)を独り占めできる権利が20万円なんて破格です。他にも魅力的なリターンが用意されており、見事に支援金額は目標をクリア。ユーザが求めているものを外さない、その手腕もユーザはアーティストの評価として認めることでしょう。
ソーシャルメディア、PtoP、アーティストとユーザを直結させる(もしくは幻想を抱かせる)システムの有用性がうたわれ、それに気付いたアマチュアもSNSのフォロワーを増やすことを注視。ユーザからしたら嬉しいことが多いけど、次に到るのはどんなステージだろうか。
科学の分野でも、量子の揺らぎやブラックホールを取り扱うようになり、技術的、予算的、物理的限界が見えてきたことが、同分野における新発見の現象という結果に現れているとの書籍もあったりする。雀のエサくらいの新発見はあろうが、飛躍的なブレークスルーは何時まで見込めるか。いつまで挑むべきか。そこは数百年単位ではじかれる試算を元にすべきなのだろうか。

私たちは、あなたは、何年単位のスケールで生きているだろうか。そのスケールの選択は最適だろうか。ニュートン力学と相対性理論の適用幅の問題のように、対する時間幅を意識することは、前時代と比較すればより重要になっていると感じる。その自覚を忘れたり、見誤ったりすることは、大きな損失を被ることも、今後は機会が増えるだろう。

今日見た映画「生きてこそ (1993年)フランク・マーシャル」
1972年10月にアンデス山脈で旅客機の墜落事故発生。南米ウルグアイの学生ラグビーチームを含む計45名の乗客及び乗員が行方不明。そして事故から72日後に16人が生還。その事故に基づくノンフィクション。「アンデスの奇跡」として有名。(あらすじ)
実話をベースにした映画作品は、一つの作品として直視するというよりも、参考資料として見てしまう。再現VTRとして。当時の現場や環境を可能な限り再現することが、作品としての価値に直結すると考える。出来上がった作品は箱庭みたいなもので、状況をトレースするための材料としての役目を果たす。そのような観点から見ると、重要なシーンは描かれていたと感じられるので高評価。他のレビューサイトを見ると描写が甘いとの記述もあったが、そのあたりは鑑賞者側で軌道修正、補完すればいいだけで。受け手に徹し、娯楽として受け取ると変なことになる。事例が事例なだけにね。
淡々と描かれる死、事故。ドラマチックに映像化されていないことが、この映画のスタンスを表す。親族が亡くなっても、親しい友人が亡くなっても、それほど死を尊ぶ時間はさかれていない。時間は刻々と過ぎる。文章では補えなかった情報を映像で補った、その貴重な記録映像なのである。

本作の要となるのは、映像特典の生存者へのインタビューである。事故後、家族にも封印して来たという当時の状況を振り返るトリガーになった本作。語られるのは事故から焼く20年の間の出来事。彼らは、あのとき何が起きた、ではなく、20年間どう生きてきたかを語る。地元では、彼らに対して誰一人として人肉を食したことを尋ねたものはいなかったという。それは何故か。彼らは誰の肉を食したかを絶対語らないという。それは何故か。当時、20歳前後の学生だった彼らが今も守り続けているのは、人としての尊厳である。死肉を喰らいながらも、人であろうともがき続けるさま。
最後に、本作の原題は「ALIVE」だったが邦題は「生きてこそ」である。このタイトルを選んだ製作陣に拍手。

長くなってしまった、2000字オーバ。
しかし、書いて楽しい。生きているみたいだ。