それは致命傷ですか(自問自答)

7月31日(月)
掃除の話をしましょう。外付けハードディスクを処分しました。これを捨てるチャンスは月に二回。記録データを別のメディアにバックアップを取り、ドライバでカバーを取り外す。USBのコネクタからはじまり、無数のコードとハンダ付けされたボードが複数枚、そしてハードディスク本体が露出。
どこを破壊すれば効果的か、サルベージが困難なのかを考えながらメスをいれました。不適切かもしませんが、わかりやすく人物に例えましょう。

方向性として、知り得た人物を殺すのではなく、脳を破壊するのでもなく、彼の口(声帯)や手足など、情報をアウトプットする能力を奪いさることを重要視しました。脳の破壊を確認するのが困難だからです。それと比較すれば後者は、より具体的な結果を視認しやすいと考えるからです。しかし元のデータが失われてないとすれば、手間をかければ復旧できるかもしれません。

ここで考慮するのは、自らが処分しようとするデータの価値や機密性とのバランス。処分に際し、これ以上の手間をかけるのはわりに合わない。それより先は徒労です。破壊により得られるであろう平穏の総量が減ってしまう。
見誤っているのか、見失っているか、いずれかの場合が多い。

今日見た映画「リトル・ミス・サンシャイン (2006年)ジョナサン・デイトン」
レビューサイトの評価が高かったので期待していたが、残念ながらあまり楽しめなかった。ボロボロのワゴンを家族みんなで押しがけしながら、どうにか遠くまで走ろうともがく。車を走らせる行為自体が、とある人生の比喩に見えた。走っている途中でとある事実が明らかになり、飛び降りたり、誰かの死に触れたり、仕事がぽしゃったり。走る時間がそのまま人生の縮図。わかりやすい構図。だからショックを受けなかった。やはり自分は映画に対して、何らかのショックを求めているのでしょう。敗因は登場人物が多すぎること、これにより個々の人物の掘り下げが足りなかったことかな。個々が抱える問題の大きさはどうでもよくて、ただ単純に時間が足りなかったということ。

ロードムービーならば、デヴィット•リンチの「ストレイト・ストーリー (1999年)」を引き合いに出すが、あれくらいに人物とテーマを絞って、時間をかけないと足りない足りない。しかもリンチの場合は掘り下げるにしても、事象を直接描き出すことをせず、醸し出す手法に切り替えたから成功した(と思う)。なぜこんな行動をとるか?なぜこんな発言をするか?直接描かれない間の部分で「掘り下げ」を行い、111分近く作品としてまとめたのだから。

映画レビューを1週間ほど書いてきたが、得られる情報と文書量を比較したときに、パフォーマンスが低いと評価できるので、次回以降は映画の割合を減らします。より読みやすく、得やすい文章をしましょう。