瀬戸内の旅#2

3日目

チェックアウトのため庭先で待っていると、宿泊客が庭で朝ご飯を食べる為に出てきた。手にはコンビニのパン。なるほど、こういう場面で金銭と時間を節約するのか。電動機付き自転車を借りて、豊島美術館へ向かう。海辺で石を拾い、山中でわき水を飲み、道路を横切るカニを避けつつ。天候にも恵まれ、綺麗な景色を眺めながら移動することができた。

豊島美術館で内藤礼の《母型》を一時間くらい鑑賞。内藤礼は本作が一つのピークではないかと感じさせる出来(建築家との共作だけども)。なお、この旅は、さつかわ氏が内藤礼の作品が大好きで、この美術館を見に行きたいと希望したことがきっかけ。彼女はもういつ死んでもいいなんて言っていた。
観賞後、二人で作品について語ったけど、結局、芸術はあくまで人間を対象としたものだよねって想いを強めた。内藤礼の作品は、素っ気ないビジュアルを装いつつも、人工的なモチーフを多用している。またモチーフの配置に厳密さを求めている。自然と表するのは不適切で、内藤礼が考える必要なものと不必要なものを取り分けて提示するための装置と考えたほうが適切。ネガティブなワードなら、去勢とか消毒。
抽象性が高く、汎用性に優れているから、鑑賞者の志向性から多分な影響を受けるだろう。鏡に似た性質。ポジ状態で向き合えばポジに評価できるし、ネガ状態で向き合えばネガに評価できる。

ふと天窓からバッタが飛び込んで来たが、床にうまく着地できず、床を転がった。土もなければ草も生えていない。摩擦係数が低い環境だから、着地に苦労する。ここはバッタの住める場所ではない。餌もない。しかし貴重な経験であることに変わりない。書ききれないくらい、気付きを得た。後悔は無い。

クリスチャン・ボルタンスキー「心臓音のアーカイブ」に到着。本旅行でトップクラスの残念ポイントだった。早々に退散。そろそろ船の乗船時間。「勝者はいない─マルチ・バスケットボール」で2ゴールを決めたら、山をひたすら上り下る(カニを踏まぬように)。直島へ移動する。港には、草間彌生「赤かぼちゃ」で自撮りに興じる方々で溢れ、近づくことに躊躇するほど。海辺で石を拾う。カニが沢山。群れをなした小魚も発見。旅館に移動し、晩ご飯を頂く。食後、大竹伸朗が外装を手がけた銭湯「I♥湯」に出かける。大したことはない。帰宅後、テレビを注視して就寝。

4日目

地中美術館へ向かう。モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品が設置されている。本当に素晴らしかった。作品総数こそ少ないが、少ないからこその映え方。一つの作品を見せる為の工夫、展示空間の前のブロックに間があったり、部屋の開口部の位置など。部屋から部屋に移動する時間をも、鑑賞という経験に組み込もうとする思想が感じられた。安藤忠雄の設計に利便性を求めても仕方ないので、素直に楽しむのが健全。タレルの「Open Field」という作品、欧米の男性と一緒に体験したのだけど、そのシルエットを見て「映画みたいだった!」とさつかわ氏。

「ベネッセハウス ミュージアム」は、個人のコレクタの収蔵品を並べたような、少々雑多印象を受けた。記憶に残るのは、ブルース・ナウマン、ジョナサン・ボロフスキー、サイ・トゥオンブリーくらいだった。早々に退散。

本村に移動し、家プロジェクトを鑑賞。タレルと宮島達男が次第点。そして予約時間になったので、内藤礼 「このことを」を鑑賞。感想は豊島美術館に近い。そもそも内藤礼の作品は大衆に向けるようにデザインされていないから、美術館に収蔵されたり、恒久設置するにはいろいろとあらが出てしまうのは仕方ないのだろう。事前予約というシステムを取りながらも、管理が雑だった。トラブルが起きた際にそれをカバーできるように考えられていなかった。それらが鑑賞の記憶を侵し、余韻を引き裂いてしまうのに。

ベネッセ管理の美術館・アート施設。個人的な印象だけど、スタッフの対応がお世辞にも良いとは言えなかった。監視の役割は果たしているが、鑑賞者へのフォローに対する姿勢がなんとも。総じてスタッフが若い。良質な美術館(という表現はアレだけど)だと、声かけしたときの「はい」という返事一つでも、スタッフの経験値を感じさせ得るものだけど。繁忙期は想像もしたくない。シーズンを少しずらして正解だった。

明日は最終日の記録を書きます。