風通し

ふと「親しみを持つ」という表現に想うことがあり、「親しみ」という単語を辞書で引いた。すると【身近に感じる気持ち】と記されていた。ならば、親しみという単語単体で、自らの気持ちを表現するに足りるといえる。そもそも「持つ」対象ではないということだ。

日記を綴っていると、いかに過剰な単語を前後に取り付けることで、ボリュームを水増しし、振り返ったときにより大きな自己満足を得ようとしているかを思い知る。そこで、私も○○風味になることを危惧し、1投稿800文字の制限を自らに課した次第。豊かさを削がないよう、注意しながら。

目の前の家が、突然、無くなった(魔法ではなくブルドーザーの力)。庭に沢山の紫陽花が咲き、石畳もある古風な住宅だった。老夫婦が介護施設、または子供たちと同居することに起因するのだろう。更地になり、窓を開けると道路から室内が丸見えになる。窓からの景色は、引っ越したかのように新鮮だ。

そして風通しがよくなった。
人が亡くなったときも、風通しがよくなる感覚に陥ることがある。より純粋で客観的な見方を試みれば、生命は単なる物質に置き換えられる。死が周囲に与える影響とは本来、「風通しがよくなる」程度のものなのだろう。