ようは、どう見えるか

「好奇の目」という言葉について。

私は、「善にも悪にも寄らず、極めてニュートラルな心理状態にある対象から放たれる眼差しに対する評価」と捉えている。数日前も、言葉にはポジやネガといったキャラクタは含まれていないことを話題にしたが、似たような話題。

好奇の目に晒された者が、不快に感じたとすれば、自身が注がれた眼差しをネガ側に評価した結果である。逆もまたしかり。つまり、自分自身が、幸か不幸かの選択を行っているということ。であれば、好奇の目に晒された!と認識したら、ポジティブ側へシフトチェンジするのが健全である。

私は特に強い目的を持たず、ぼーっと宙を眺めていることがある。より正確かつ抽象的に表すと「ここではないところ」とか「明後日」を眺めている(ザッピング風)。すると、さつかわ氏は、そこに何か虫か幽霊でもいるんじゃないか?と怯え、振り返ったり、逃げたりする。

きっかけは物理的な刺激ではなく、そこに何らかの存在や現象を信じたことに起因する行動、反応である。人間には魔法を使わずとも、幻想を見せることは容易なのだ。時たま、壁を見つめたりして怖がらせ反応を見たりするが、一向に改善しない。信じなければいいだけだが、万が一に備えようとする姿勢は素晴らしい。

このテクニックを最大限に利用し、生まれた概念が、神なのかな。