耐久性の価値

10年以上前にライブ会場で購入したタオルがとても丈夫だ。ほつれもない。ライブで使えればいいとしか思っていなかったが、時間の研磨を経て、性能の高さが浮き彫りになり、他の列強(タオル)を引き離し、得た高評価である。

このタオルが突出していたパラメータは、耐久性。年単位の時間をかけてつきあわないと、真の実力はわからない。ファストファッションの範疇で生産される衣料品の一部は、この耐久性が極めて短期間(ワンシーズン、一度の旅行)である。しかし、耐久性に目を瞑り、視覚で捉えられる要素(スタイル)に注力し、生産量を増やし、コストを抑え、支持される。

今着たい服を、明日も着たいと思う保証はどこにもない。どんな品だって、飽きる可能性はある。文字通り、一張羅の時代はとうの昔。ファストファッションに限らず、縫製工場産の衣類は安くなった。安くなるイコール、消費者側の選択肢が広がったということ。これは素直に良いこと。

しかし、日々、古着屋に持ち込まれる大量の中古衣料品の山を眺めると、少子高齢化の図式とダブって見えたりする。大手古着屋は、売り物にならない衣料品を、途上国に提供したりもしているが、建前を整備して、商品を集め、不要なゴミを他国に押し付けているようにも見える。

仕事を辞めてから、物の購入量がぐっと減った。そして、日常生活に潜む過剰に敏感になった。環境問題に対し、消費者ができる最も効果的な手法は買わないこと。生産者は絶対的な必要量を試算し、余剰を生産しないことが理想である。常に必要性を問うようにしている。身の丈を知るってこと。

ボロボロになっても使いたいという欲求や愛着を抱かせるに秀でた商品に対しても「耐久性が高い」との評価を与えても良いのかもしれない。寿命とは、多くの場合、観察者の主観的な見なしに過ぎないのだから。