本当に目立っているのか?

普段から大声で会話をする人は、「誰かに構って欲しい」とか「聴力が衰えたから」といった理由に起因することがやはり多いのだろうと考える。

大声を多用する人間は、大声(大音量)は外部に何らかの影響を与えやすいという性質を利用しているといえる。エネルギー量が多いのだから当然である。明滅する電光掲示板などと同様。振幅が大きいと言い換えてもいい。

変化の幅が大きい現象は、指摘が容易である。気付きやすいのだから話題にしやすい。構ってもらえるし、嫌でも感覚器官に訴えられる。

しかし、この効用を全体が利用し出したら目も当てられない。混沌とした情景が容易に目に浮かぶだろう。新宿の繁華街のように。

原始的かつ有用なテクニックだが、前述の通り、変化の幅があってこそ効果が見込めるものである。よって、繁華街等では、再度の低い、言い換えれば地味なビジュアルを装うことで、変化の幅が生じて、注目され得る。

電車内、大声で会話をする人の近く。口元に手をあて、ひそひそ会話をする者がいれば、大声を出す者はそれに気付くだろう。

目立つ、の本質は他とは違うこと。性能の高さを表す指標ではない。
これを見誤ると、いらないものを買わされることにもなる。

メジャな側にいるうちは、目立つことはない。
マイナな側の数少ない利ともいえる。