or の価値

私は、長生きすることに対して、ネガティブなイメージを持っている。それはあくまで己に対してのみであり、他者が長生きしようが、それは自由である。

明瞭な例を挙げるならば、手塚治虫の火の鳥だろうか。死から、肉体から解放されて、永久の生を得る。例えば「寿命が一年プラスされます」とかロスタイムみたいな微妙な加減ならば、受け入れるかもしれない。けど、永遠は長過ぎる。だって、地球が今の平和を保てる保証などないのだから。

あらゆる生命体は死を前提に生まれていると考える。死を排除したら、この前提が崩れてしまう。たとえ、宇宙は果てなく膨張を続け、空間は広がり続けるのだとしても、私たちが生きられる、また今踏み込める場所は限定されていて、有限である。

有限なのに、永遠をぶち込めば破綻するの当然だろう。そして、破綻により生まれた不幸を、長期的に味わうのは永遠側である。

長く生きることは、その他を置き去りにすること。
長く生きることは、孤独になること。

長生きが決して素晴らしいことだとは思わない。自らに結果的に与えられた時間を、どう活かすか。その計画に大きな支障が出ないように、健康に気を使えば良いのではないか。

生きたいと願うことが本望だと仮定しても、本能が正しいとは限らない。そもそも、生が正しいとは限らない。

人間は飽きる生き物だと思う。飽きたら捨てる、買い替える。そういった選択肢が確認できるから、安堵する。しかし、永遠を選べば、生を放棄することができなくなる。「死」を手放すことになる。

生も必要、死も必要。
選べなくなることが、恐怖なのだと。